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総患者数:5,500万人(推定)
  • 世界から学ぶ #022:Comfort Feeding Only

    世界から学ぶ 世界 介護 食事 胃ろう 嚥下
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    Comfort Feeding Only(CFO)は、「栄養を摂らせること」ではなく「食べる喜びや心地よさを保つこと」が目的です。そのため、少しでも本人に負担や苦痛が見られたら、その日の食事介助は笑顔ですぐに切り上げるのが鉄則です。 現場やご自宅で実践する際の「中止のサイン」と「介助のコツ」をまとめました。 1. 食事を中止すべき「苦痛・拒否のサイン」 以下のようなサインが見られたら、脳や体が「今は食べたくない」「これ以上は危険・苦しい」と訴えている合図です。 直接的な拒否のサイン スプーンを近づけると、口を固く閉じる、顔を背ける。 手でスプーンや介助者の手を押しのける。 食べ物を口に入れても、ベーっと吐き出す。 体からの危険信号(誤嚥・呼吸への影響) 激しいむせ込み、または「ゴロゴロ」とした湿った苦しそうな呼吸音(喉にたまっている証拠)。 何度も続けて激しい咳(せき)が出る。 食べている最中に、目がトロンとしてきたり、ウトウトと強い眠気に襲われたりする(意識が下がると誤嚥のリスクが跳ね上がります)。 顔色が悪くなる、または顔が赤くなって苦しそうにする。 大切な考え方 CFOにおいて「残すこと」は悪いことではありません。「一口でも美味しく味わえたら大成功」と捉え、拒否やむせ込みがあった時点で「今日はここまでにしましょうね」と、お互い穏やかな気持ちで終了します。 2. 快適性を高める食事介助のコツ 本人が少しでも楽に、心地よく口に運べるようにするための具体的なアプローチです。 ① 姿勢の調整(もっとも重要) 喉の構造上、上を向くと気道が開き、下を向くと食道が開きやすくなります。 顎(あご)を引く: 軽くおじぎをするような姿勢が、誤嚥を防ぐ基本です。 リクライニング(ベッド上)の場合: 角度は30度〜60度程度が目安ですが、頭の後ろに枕などを挟み、頭だけが少し前にうつむく(顎が引ける)形を作ります。 目線の位置: 介助者は必ず本人の目線よりも低い位置に座ります。上からスプーンを運ぶと、本人が上を向いてしまい(顎が上がって)誤嚥しやすくなります。 ② 食形態(見栄えとまとまり) 終末期は、サラサラした液体(お茶や水など)が一番むせやすく、危険です。 適度なとろみと「まとまり感」: ゼリー状、プリン状、あるいは滑らかなペースト状で、口の中でバラバラにならずにつるんと塊(食塊)のまま喉に送り込めるものが適しています。 温度と風味のメリハリ: 味覚や嗅覚が落ちていることがあるため、少し温かいもの、あるいは対照的に冷たくてさっぱりしたもの(アイスクリームやゼリー、水ようかんなど)のほうが、喉のセンサーを刺激して飲み込みやすくなります。 ③ スプーンの進め方 下から、小さめのスプーンで: ティースプーン1杯弱(ティースプーンの半分〜3分の2程度)の少量ずつ運びます。多すぎると処理しきれません。 下唇にトントンと触れる: 口を開けてもらうための合図(原始反射を促す)として、下唇に優しくスプーンを当て、本人が自発的に口を開けるのを待ちます。無理にこじ開けてはいけません。 しっかり「ごっくん」を確認する: 喉仏が動いて、確実に飲み込んだのを確認してから次の一口へ進みます。口の中に残っているうちは次を入れてはいけません。 3. 食べられない時の「もう一つのComfortケア」 もしスプーンでの食事が全く進まない日でも、できることはたくさんあります。CFOではこれらも立派な「食事ケア」の一環です。 お口の潤い(口腔ケア): 終末期は口の中が乾きやすく、それが一番の不快感になります。湿らせたスポンジブラシでお口の中を拭いたり、好みの飲み物を少し浸したガーゼで唇や粘膜を潤すだけで、本人は非常にすっきりします。 「食べる空間」の共有: 無理に食べさせなくても、家族が近くでお茶を飲んだり、お出汁(だし)のいい香りを部屋に漂わせたりして、「食の雰囲気」を一緒に楽しむことも五感を心地よく刺激する素晴らしいケアです。 CFOを支えるご家族・スタッフへ 「栄養を摂らせなきゃ」という医療的な視点から、「この瞬間、心地いいかな?」という人生の豊かさを守る視点へシフトすること。それが、本人の穏やかな笑顔と、見守る側の心の平穏につながります。
  • 世界から学ぶ #021:夕暮れ症候群 ― Sundowning

    世界から学ぶ 世界 日没 介護
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    夕方になると、別人になる ― 「夕暮れ症候群/日暮れ症候群」という現象 夕方の、あの時間が、こわい。 そう感じている介護者は、少なくありません。 昼間は、あんなに穏やかだったのに。 陽が傾きはじめる頃になると、決まって、そわそわし出す。 「家に帰る」と言って、玄関に向かう。 理由もなく、怒り出す。 落ち着きなく、家のなかを歩きまわる。 そして、夜が更けるほど、それはひどくなっていく。 介護をしていて、いちばん消耗するのが、この夕方から夜にかけての時間帯だ—— そう感じているなら、それには、はっきりとした名前があります。 「Sundowning(日没症候群)」 日本語では、「日暮れ症候群」「夕暮れ症候群」とも呼ばれます。 これは、あなたの介護のやり方が悪いから起きるのでも、 その人の性格が変わってしまったから起きるのでもありません。 まず、そのことを知ってください。 「なぜ、夕方だけ」なのか 日没症候群でいちばん不思議なのは、時間になると、まるでスイッチが入ったように始まることです。 午前中は、おだやか。 お昼過ぎも、まだ大丈夫。 けれど、午後3時、4時——陽が傾きはじめる頃から、少しずつ、様子が変わっていく。 この「時間の規則正しさ」こそが、日没症候群の最大の特徴です。 海外の医療機関(アメリカのメイヨー・クリニックなど)は、これを一つの「病気」ではなく、特定の時間帯に決まって現れる、症状のまとまりだと説明しています。 では、なぜ夕方なのでしょうか。 原因は、まだ完全には解明されていません。 けれど、有力とされている説が、いくつかあります。 体内時計(概日リズム)の乱れ 私たちの脳のなかには、「体内時計」があります。 朝が来れば目を覚まし、夜が来れば眠くなる——この一日のリズムを刻んでいる、小さな司令塔です。 専門的には「視交叉上核(しこうさじょうかく)」と呼ばれる場所が、その役割を担っています。 ところが、認知症になると、この体内時計をつかさどる部分が、少しずつ壊れていきます。 すると、「今が昼なのか、夜なのか」という、体の感覚そのものが、あいまいになってしまう。 夕方という、昼と夜の境目。 その「切り替わり」の時間に、壊れかけた体内時計が、うまく対応できずに混乱する—— これが、日没症候群の有力なメカニズムだと考えられています。 「一日の疲れ」が限界に達する もう一つ、見落とされがちな要因があります。 それは、単純な「疲れ」です。 認知症の人にとって、一日を過ごすことは、私たちが想像する以上に、体力と気力を使う作業です。 「ここはどこか」「今、何をする時間か」を、常に考え続けなければならない。 その緊張が、一日の終わりに向けて、少しずつ積み重なっていく。 そして夕方、心と体のエネルギーが尽きたとき、それが混乱や不穏という形で、あふれ出してしまうのです。 夕方の「引き金」を、減らしていく 日没症候群には、完全な「治療法」はありません。 けれど、症状を引き起こす**「引き金」を減らしていくこと**は、できます。 海外の研究や医療機関が指摘している、代表的な引き金と、その対策を挙げていきます。 すべてを完璧にやる必要はありません。一つ試してみて、合いそうなものを続けてみてください。 引き金1|光が減り、影が増える 夕方、部屋が暗くなってくると、ものが見えにくくなります。 壁にできた影を、人影と見間違えたり。 薄暗さのなかで、不安や恐怖が、ふくらんでいったり。 → 対策:暗くなる前に、明かりをつける 陽が落ちきる前に、早めに部屋の照明をつけましょう。 「暗くなってから」ではなく、「暗くなる前に」が大切です。 影ができにくいよう、部屋全体を明るく保つと、混乱が和らぐことがあります。 引き金2|昼間の疲れと、昼寝のしすぎ 昼間に寝すぎると、体内時計がさらに狂い、夜眠れなくなります。 かといって、疲れすぎても、夕方の不穏につながります。 → 対策:昼は活動的に、昼寝は短めに 日中は、散歩や、日光を浴びる時間をつくりましょう。 日光は、乱れた体内時計を整えるのを助けてくれます。 昼寝をするなら、午後の早い時間に、短く。夕方近くの長い昼寝は、避けたほうが無難です。 引き金3|カフェインと、夕食 コーヒーやお茶に含まれるカフェインや、夕方以降の糖分は、興奮や不眠につながります。 また、重すぎる夕食も、体に負担をかけます。 → 対策:カフェインは午前中まで。夕食は軽めに カフェインを含むものは、できれば午前中で切り上げましょう。 夕食は、消化のよい、軽めのものにすると、夜が穏やかになりやすくなります。 引き金4|「見えない不調」― これが、いちばん大切 ここが、いちばん見落とされやすく、そして、いちばん重要な点です。 その夕方の不穏は、実は「日没症候群」ではなく、体のどこかの不調が、言葉にできずに現れたものかもしれないのです。 たとえば—— お腹が空いている、のどが渇いている 便秘や、トイレに行きたい不快感 どこかが痛い 尿路感染症(UTI)などの、隠れた感染症 認知症が進むと、「お腹が痛い」「トイレに行きたい」と、言葉で伝えることが難しくなります。 その代わりに、それが「そわそわ」「怒り」「徘徊」という形で、現れてしまう。 特に、尿路感染症は要注意です。 高齢者では、熱が出ないまま、急に混乱や不穏だけが強くなることがあり、見過ごされがちです。 → 対策:「いつもと違う」ときは、体調を疑う 「急に夕方の不穏がひどくなった」というときは、まず、体のどこかに不調がないかを疑ってください。 そして、その状態が続くようなら、我慢せず、かかりつけの医師に相談しましょう。 薬の影響(飲み始めや、量が変わったとき)も、原因になることがあります。 その人は、「困らせている」のではなく、「困っている」 対策を並べてきましたが、いちばんお伝えしたいのは、技術のことではありません。 夕方、落ち着かなくなり、怒り、家を出ていこうとする。 その姿を見ていると、つい、こう思ってしまうかもしれません。 「どうして、いつもこの時間に、私を困らせるんだろう」と。 でも、どうか、思い出してください。 その人は、あなたを困らせているのではありません。 その人自身が、いちばん困っているのです。 体内時計が壊れ、昼と夜の区別がつかなくなり、 薄暗い部屋のなかで、ここがどこかも分からず、 言葉にできない不安のなかに、たった一人でいる。 「家に帰りたい」という言葉は、 今いる家のことではなく、心から安心できた、遠い昔の場所を求めているのかもしれません。 そう思うと、少しだけ、その姿の見え方が変わってこないでしょうか。 この記事で、覚えておいてほしいこと 最後に、大切なことを、三つだけ。 ① 夕方の不穏には「日没症候群」という名前があり、あなたの介護のせいではありません。原因は、その人の脳のなかの、体内時計の乱れです。 ② 完全にはなくせなくても、「引き金」を減らすことはできます。光、生活リズム、カフェイン、そして「隠れた体の不調」。この四つを、まず見直してみてください。 ③ そして、これがいちばん大切です。夕方の不穏が、いつもと違って急にひどくなったときは、「性格の変化」だと思い込まず、体調不良のサインを疑ってください。尿路感染症や痛み、脱水が隠れていることが、とても多いのです。 夕方の時間が、こわい。 その気持ちは、よく分かります。 でも、その時間に起きていることの「正体」を知れば、 少しだけ、落ち着いて向き合えるようになります。 その人も、あなたも、あの夕暮れのなかで、 一緒に、困っているのです。 一人で抱え込まず、どうか、周りの手を借りてください。 参考にした「世界の知恵」 Mayo Clinic(メイヨー・クリニック)「Late-day confusion in people with dementia」 Alzheimer's Association(アルツハイマー協会)「Sleep Issues and Sundowning」 日没症候群と概日リズム障害に関する複数の医学研究(Frontiers in Neuroscience ほか) ※夕方の不穏が急に強くなった場合、尿路感染症・脱水・痛み・薬の副作用など、治療できる原因が隠れていることがあります。「認知症だから仕方ない」と決めつけず、かかりつけの医師や地域包括支援センターにご相談ください。介護者自身の睡眠が削られ続けているときも、我慢せず、必ず周りに助けを求めてください。 関連記事 #020:まだ生きているのに、もう泣いている ― 「予期悲嘆」という言葉 #013:「本人だけが、病気に気づいていない」 ― 病識の欠如という現象 #012:なぜ、家にいるのに「家に帰る」と言うのか ―― 徘徊という行動の意味 認知症を知る #05:認知症介護で本当に大切なこと
  • 世界から学ぶ #020:予期悲嘆 ― Anticipatory Grief

    世界から学ぶ 世界 予期悲嘆 介護
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    まだ生きているのに、もう泣いている ― 「予期悲嘆」という言葉 親の介護をしていて、ふと、こんな気持ちになったことはありませんか。 まだ、目の前に生きている。 息をしている。 手も、あたたかい。 それなのに、胸の奥が、喪服を着たように重い。 まるで、もう亡くしてしまったかのような、深い悲しみが、こみ上げてくる。 そして、こう思うのです。 「まだ生きているのに、こんなことを感じるなんて。私は、なんてひどい人間なんだろう」と。 もし、あなたがそう感じたことがあるなら。 この記事を、あなたに読んでほしいと思います。 その気持ちには、名前があります。 そして、それは、あなたが薄情だからではありません。 「悲しみ」は、亡くなったあとに来るものではない 私たちは、こう教わってきました。 大切な人を亡くしたとき、人は悲しむ、と。 お葬式があって、涙を流して、少しずつ、立ち直っていく。 悲しみとは、「失ったあと」に来るものだ、と。 でも、認知症の介護は、その順番を、静かに壊してしまいます。 海外の研究では、この現象に、はっきりとした名前がついています。 「Anticipatory Grief(予期悲嘆)」 日本語にすれば、「まだ失っていないのに、先に始まってしまう悲しみ」です。 これは、決して珍しいものではありません。 むしろ、認知症の家族を介護する人のあいだで、とてもありふれた、正常な反応だと分かっています。 海外の複数の研究が、同じことを指摘しています。 認知症の介護者が抱えるこの「予期悲嘆」は、介護の負担感や、うつ、不安と深く結びついていること。 そして、病気が進むほど、その悲しみは深くなっていくこと。 つまり、あなたが感じているその重さは、あなた一人のものではなく、世界中の介護者が、同じように抱えているものなのです。 なぜ、生きているのに悲しいのか ― 「あいまいな喪失」 では、なぜこんなことが起きるのでしょうか。 アメリカの心理学者、ポーリン・ボスという人が、この問いに、ひとつの答えを与えてくれました。 彼女が名づけたのは、「Ambiguous Loss(あいまいな喪失)」という概念です。 ボスは言います。 世の中には、二種類の「喪失」がある、と。 ひとつは、体はここにいないけれど、心はここにいる喪失。 たとえば、戦争で行方不明になった家族。 連絡は取れない。会えない。けれど、心のなかには、はっきりと生きている。 もうひとつは、その反対です。 体はここにいるのに、心が遠くへ行ってしまう喪失。 そして、認知症の介護は、まさにこの二つ目にあたる、とボスは言います。 お母さんは、そこにいる。 ごはんも食べる。手も握れる。 けれど、あなたのことを、もう「娘」だとは分からない。 昔、一緒に笑ったあの思い出を、共有できない。 体は、ここにある。でも、あなたの知っていたその人は、もういない。 この「ここにいる」と「もういない」が、同時に存在してしまう状態。 これを、ボスは「あいまいな喪失」と呼びました。 そして、彼女はこうも言っています。 これは、人間が経験する喪失のなかでも、もっともストレスの大きいものの一つだ、と。 なぜなら、私たちの悲しみは、「終わり」があって初めて、動き出すからです。 「お別れ」ができないという、つらさ 普通の別れには、区切りがあります。 亡くなったという、はっきりとした事実。 お葬式という、儀式。 「さようなら」を言う、瞬間。 その区切りがあるからこそ、私たちは泣き、そして、少しずつ前を向いていくことができます。 けれど、認知症の介護には、その区切りがありません。 昨日は、あなたの名前を呼んでくれた。 今日は、分からなくなっている。 明日は、また少し、呼んでくれるかもしれない。 「もう失った」とも言えず、「まだ大丈夫」とも言えない。 その、はっきりしない状態が、何年も続いていく。 ボスは、こう表現しました。 このとき人は、「希望」と「絶望」のあいだを、行ったり来たりするのだ、と。 期待して、裏切られて、また期待して。 この揺れが、あまりに長く続くと、人はやがて、感じることそのものに、疲れ果ててしまう。 だから、もしあなたが今、 「悲しいのか、つらいのか、自分でもよく分からない」 「何も感じなくなってきた気がする」 そう感じているとしても——それは、あなたの心が壊れたからではありません。 答えの出ない状態に、長く耐えてきた人の、自然な姿なのです。 ボスが教えてくれる、二つの「手放し方」 では、この「あいまいな喪失」と、どう付き合っていけばいいのでしょうか。 ボスは、たくさんの家族と向き合うなかで、いくつかのヒントを残してくれました。 そのなかから、日本の介護者にも届きそうな、二つをお伝えします。 ひとつめ ― 「両方とも本当」でいい ボスが、もっとも大切にした考え方があります。 それは、矛盾する二つの気持ちを、同時に、心のなかに持っていい、ということです。 英語では「both-and thinking(両方思考)」と呼ばれます。 「お母さんは、もういない。でも、まだここにいる」 「あの人は、私を忘れた。でも、私はあの人を覚えている」 「悲しい。でも、まだ一緒にいられて、うれしい」 どちらか一方に、決めなくていいのです。 「まだ生きているんだから、悲しむのはおかしい」と、自分を責めなくていい。 「もう分からないんだから、期待するだけ無駄だ」と、心を閉じなくていい。 両方とも、本当です。 その矛盾を、矛盾のまま抱えることが、じつは、いちばん真実に近く、そして、いちばん心が楽になる道なのだ、とボスは言います。 ふたつめ ― 「終わり」を、求めなくていい 私たちは、「区切り(closure)」という言葉が好きです。 きちんとお別れをして、気持ちに整理をつけて、前に進む。 それが、正しい悲しみ方だと、思い込んでいます。 でも、ボスは、はっきりとこう言いきります。 「区切りなんて、幻想です」、と。 彼女は、自分のことを「悲嘆(グリーフ)の専門家」ではなく、「喪失(ロス)の専門家」だと言います。 そして、こう続けます。 答えの出ない喪失には、きれいな「終わり」など、来ないのだ、と。 だから、無理に気持ちを整理しようとしなくていい。 「まだ吹っ切れない自分」を、責めなくていい。 答えが出ないまま、揺れながら、それでも日々を生きていく。 それは、弱さではなく、答えのない状況を生き抜く、強さなのです。 それでも、介護は続いていく ここで、正直なことも、書いておかなければなりません。 「あいまいな喪失」の何がいちばんつらいかというと、悲しみと介護が、同時にやってくることです。 心のなかで、その人を失っていく悲しみを抱えながら。 同じその手で、食事の介助をし、着替えを手伝い、夜中に何度も起こされる。 悲しむための時間さえ、与えられない。 海外の研究でも、この予期悲嘆がもっとも深くなるのは、長年連れ添った配偶者を、進行した段階で介護している人だと分かっています。 いちばん近くにいて、いちばん長く一緒にいた人ほど、その喪失は、深いのです。 だからこそ、お伝えしたいことがあります。 あなたが感じている悲しみは、介護から「逃げたい」気持ちとは、違います。 それは、その人を深く愛してきたことの、証です。 どうでもいい相手のことで、人は、こんなに悲しんだりしません。 その悲しみは、あなたが、ちゃんと愛してきた人間だという、何よりの証拠なのです。 この記事で、いちばん伝えたかったこと 長くなりました。 最後に、たったひとつだけ、覚えておいてほしいことを書きます。 まだ生きているのに、もう悲しいと感じるのは、正常なことです。 あなたは、薄情ではありません。 おかしくもありません。 心が弱いのでもありません。 あなたは、名前も知らないまま、世界中の介護者が経験してきた「予期悲嘆」という、深い悲しみのなかを、たった一人で歩いてきただけなのです。 その気持ちに、名前があると知ること。 それだけで、少しだけ、呼吸が楽になることがあります。 「ああ、これには名前があったのか」 「これを感じているのは、私だけじゃなかったのか」と。 もし、あなたが今、誰にも言えない悲しみを抱えているなら。 どうか、心のなかで、そっとつぶやいてみてください。 ——これは、あいまいな喪失。 ——これは、私が、あの人を、愛してきたということ。 その悲しみは、間違っていません。 そして、あなたは、一人ではありません。 参考にした「世界の知恵」 ポーリン・ボス 『Loving Someone Who Has Dementia(『認知症の人を愛すること:曖昧な喪失と悲しみに立ち向かうために』(誠信書房))』 ほか、「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」 に関する一連の研究 認知症介護者の 「予期悲嘆(Anticipatory Grief)」 に関する複数の学術研究(BMC Palliative Care, Palliative & Supportive Care ほか) ※この記事は、認知症介護における感情の理解を助けることを目的としています。強い抑うつや不安が続く場合は、我慢せず、お住まいの地域の地域包括支援センターや、医療機関にご相談ください。悲しみを分かち合うことは、逃げではなく、介護を続けるための大切な力になります。 関連記事 #013:「本人だけが、病気に気づいていない」 ― 病識の欠如という現象 #011:介護者は「第二の患者」 ― あなたのケアは、誰がするのか 認知症を知る #05:認知症介護で本当に大切なこと
  • 🌱05:認知症介護で本当に大切なこと

    認知症ケア 介護 理解
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    認知症を知るシリーズ 認知症を知る ― はじめに|介護の前に 第1回:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 第2回:認知症にも「性格」があります 第3回:認知症は、がんのようには進行しません 第4回:MRIでは分からないことがあります 第5回:認知症介護で本当に大切なこと このシリーズでは、 認知症とはどのような病気なのかを、一緒に考えてきました。 認知症は、「物忘れ」だけの病気ではありません。 原因となる病気によって症状も違います。 毎日少しずつ悪くなるわけでもありません。 MRIだけでは分からない変化もあります。 では、 これらを知った私たちは、 介護で何を大切にすればよいのでしょうか。 私は、 その答えは、とてもシンプルだと思っています。 相手を理解しようとすること。 それだけです。 もちろん、 現実の介護は簡単ではありません。 何度説明しても伝わらない日があります。 怒られる日もあります。 疲れてしまう日もあります。 だから、 「理解しよう。」 という言葉だけでは、介護はできません。 でも、 認知症について知る前と、 知った後では、 同じ出来事でも見え方が変わります。 「また同じことを聞かれた。」 ではなく、 「覚えることが難しくなっているんだ。」 「急に怒り出した。」 ではなく、 「何か不安があったのかもしれない。」 「今日は何もできなかった。」 ではなく、 「今日は調子が悪い日なのかもしれない。」 少しだけ、 見方が変わります。 介護技術とは、 その「見方」があって初めて意味を持つものだと私は思います。 例えば、 否定しない。 安心してもらう。 ゆっくり話す。 目を見て話す。 どれも大切なことです。 でも、 なぜそれが大切なのかを知らなければ、 ただ「そうするもの」と覚えるだけになってしまいます。 認知症を知ることで、 その一つひとつに意味が生まれます。 介護は、 相手を変えることではありません。 自分の見方を少し変えることなのかもしれません。 認知症の方は、 昨日までと同じ世界を見ているわけではありません。 だから、 介護する私たちも、 昨日までと同じ見方だけでは、 寄り添うことは難しいのです。 私は、 介護で一番大切なのは、 「正解」を探すことではないと思っています。 その人は今、 何を感じているのだろう。 何が不安なのだろう。 何を伝えようとしているのだろう。 そのことを考え続ける姿勢こそが、 介護なのではないでしょうか。 認知症は、 多くのことを少しずつ変えていきます。 でも、 その人らしさまで、 すべてなくなってしまうわけではありません。 笑顔があります。 好きな音楽があります。 安心できる場所があります。 大切な家族への思いがあります。 それらは、 病気だけを見ていては気付きません。 その人を見ていて初めて見えてきます。 今回お伝えしたかったこと 介護の技術は、とても大切です。 しかし、 その技術が本当の意味を持つのは、 認知症という病気を知り、 その人を知ろうとしたときです。 だから私は、 介護の第一歩は、 技術ではなく、 「知ろうとすること」 だと思っています。 このシリーズはここで終わります。 でも、 認知症を知ることに終わりはありません。 一人ひとり違うからこそ、 私たちは、 これからもその人のことを知り続けていくのだと思います。 最後に 介護は、一人で頑張るものではありません。 相手を知ろうとすること。 そして、ときには自分自身の心も大切にすること。 それも、介護の一つだと私は思います。 関連記事 「頑張らない介護」とは、具体的にどういうこと? 世界から学ぶ #016:イギリス 「社会的処方」 世界から学ぶ #005:フランス 「ユマニチュード」
  • 🌱04:MRIでは分からないことがあります

    認知症ケア 介護 検査
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    認知症を知るシリーズ 認知症を知る ― はじめに|介護の前に 第1回:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 第2回:認知症にも「性格」があります 第3回:認知症は、がんのようには進行しません 第4回:MRIでは分からないことがあります 認知症の診断の過程では、 MRI検査を受けることがあります。 最近では、PET検査や血液検査なども少しずつ進歩し、 以前より詳しく調べられるようになりました。 では、これらの検査を受ければ、 認知症の進行はすべて分かるのでしょうか。 答えは、「そうではありません。」 もちろん、MRIには大切な役割があります。 脳が萎縮しているのか 脳梗塞はないか 他の病気ではないか 認知症の診断には欠かせない検査です。 しかし、MRIには写らないものがあります。 それは、その人の毎日の生活です。 昨日までは一人で着替えができた。 今日は途中で止まってしまった。 朝は元気だったのに、 夕方になると不安が強くなる。 孫の名前は忘れてしまった。 でも、孫の笑顔を見ると、 自然に笑顔になる。 こうした変化は、MRIには写りません。 介護をしていると、「今日は何だか様子が違う。」 そんな小さな変化に気付くことがあります。 食欲が少し落ちた 歩く速さが少し遅くなった 表情が少し暗い 話し方が少し変わった 病院で会う数十分では分からないことを、 介護者は毎日の生活の中で見ています。 だから私は、介護者は、 認知症の変化を最も近くで見ている人だと思っています。 それは、医師より詳しい、 という意味ではありません。 見ているものが違うのです。 医師は画像や検査から病気を見ます。 介護者は生活の中から、その人を見ます。 どちらも大切です。 どちらか一方だけでは、その人のことは分かりません。 もし、「MRIでは変わっていません。」 と言われても、介護をしている家族が、 「以前とは何か違う。」 と感じるなら、 その感覚は、とても大切です。 毎日見ている人だからこそ、 気付ける変化があります。 認知症は、画像だけでは分からない病気です。 そして、生活だけでも分からない病気です。 だからこそ、医療と介護は、お互いに補い合う必要があります。 私は、認知症という病気は、 脳だけを見るのではなく、 その人の暮らしを見ることで、 初めて見えてくるものがあると思っています。 今回お伝えしたかったこと MRIは、認知症を診断するための大切な検査です。 しかし、その人の毎日の生活や、小さな変化までは写りません。 介護者が毎日感じている「何か違う」という気付きも、 認知症を理解するための大切な情報なのです。 次回は、このシリーズの最後になります。 「 05:認知症介護で本当に大切なこと 」 について、一緒に考えてみたいと思います。
  • 🌱03:認知症は、がんのようには進行しません

    認知症ケア 介護 進行
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    認知症を知るシリーズ 認知症を知る ― はじめに|介護の前に 第1回:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 第2回:認知症にも「性格」があります 第3回:認知症は、がんのようには進行しません 認知症と診断されると、 「これから、どんどん悪くなるのでしょうか。」 という不安を抱く方が少なくありません。 介護する家族にとっても、 「昨日より今日。」 「今日より明日。」 少しずつ進行していく病気というイメージがあるかもしれません。 でも、認知症は必ずしも、そのように進む病気ではありません。 例えば、がんでは、 腫瘍の大きさという目に見える指標で、病気の変化を追うことができます 一方、認知症では、 昨日できたことが今日はできない。 そうかと思えば、 翌日には、また普通にできる。 そんなことが珍しくありません。 介護をしていると、 「急に悪くなった。」 と感じる日があります。 でも、その変化がすべて認知症の進行とは限りません。 睡眠不足 疲れ 便秘 脱水 風邪や発熱 環境の変化 慣れない場所 薬の影響(飲み始め・変更時) こうした小さな出来事でも、認知症の方は大きな影響を受けることがあります。 つまり、 その日の体調や環境によって、認知機能は大きく変わることがあるのです。 だから、 昨日できたことが、 今日はできない。 その姿を見ると、 「また進行してしまった。」 と思ってしまいます。 でも翌日、 何事もなかったようにできることがあります。 介護を続けている方なら、 そんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。 私は、この特徴を知ってから、 「今日できなかった。」 という一日だけで判断しなくなりました。 今日は調子が悪い日なのかもしれない。 疲れているのかもしれない。 何か不安があるのかもしれない。 そう考えるようになっただけで、 私自身の気持ちも少し楽になりました。 もちろん、認知症は少しずつ進行していく病気です。 それは事実です。 しかし、 その進行は、一直線ではありません。 坂道を下るように、 毎日同じ速さで悪くなるわけではありません。 良い日もあります。 悪い日もあります。 その繰り返しの中で、少しずつ変化していく病気なのです。 だから私は、 一日だけを見て、 「悪くなった。」 とは考えないようにしています。 大切なのは、 今日ではなく、 一か月前 半年前 一年前 その人らしさが、どのように変わってきたのかを見ることではないでしょうか。 介護者は、 毎日その人を見ています。 だからこそ、 変化に敏感になります。 でも、その優しさが、 時には不安につながってしまうこともあります。 だから私は、 「今日はできなかった。」 ではなく、 「今日はそういう日だったのかもしれない。」 という見方も、大切にしたいと思っています。 今回お伝えしたかったこと 認知症は、少しずつ進行する病気です。 しかし、その変化は一直線ではありません。 体調や環境によって、一日の中でも認知機能は変わることがあります。 だから、 昨日と今日だけを比べるのではなく、 少し長い時間の中で、その人を見つめることが大切です。 次回は、 「04:MRIでは分からないことがあります 」 について、一緒に考えていきます。
  • 🌱02:認知症にも「性格」があります

    認知症ケア 介護 性格
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    認知症を知るシリーズ 認知症を知る ― はじめに|介護の前に 第1回:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 第2回:認知症にも「性格」があります 認知症と診断されると、多くの人は同じ病気を思い浮かべます。 しかし実際には、「認知症」という名前は一つでも、その原因となる病気はいくつもあります。 少し言い方を変えるなら、 認知症にも、それぞれ「性格」があると言えるかもしれません。 ある人は、何度も同じことを聞きます。 ある人は、部屋の中に人がいると言います。 ある人は、急に怒りっぽくなります。 ある人は、今までとまるで性格が変わったように見えます。 これらは、すべて同じ認知症なのでしょうか。 実は、そうではありません。 最も多いのが、アルツハイマー病です。 新しい出来事を覚えることが少しずつ難しくなり、「物忘れ」が目立つようになります。 一方で、レビー小体型認知症では、幻視が現れたり、調子の良い日と悪い日の差が大きかったりすることがあります。 前頭側頭型認知症では、記憶よりも先に、判断や行動、人との接し方が変わることがあります。 血管性認知症では、脳梗塞が起きた場所によって症状が大きく異なります。 ここで大切なのは、 「どれが一番大変か」 ではありません。 何が変化しているのかを知ることです。 例えば、 同じように怒っているように見えても、 アルツハイマー病では、不安や混乱から怒っているのかもしれません。 レビー小体型認知症では、本人には本当に見えているものに驚いているのかもしれません。 前頭側頭型認知症では、感情を抑える働きそのものが変化しているのかもしれません。 外から見れば同じ「怒る」という行動でも、その理由はまったく違うことがあります。 だから私は、 認知症を一つの病気として考えるよりも、 一人ひとり違う病気であり、一人ひとり違う人である と考えた方が、介護はずっと分かりやすくなると思っています。 そして、もう一つ忘れてはいけないことがあります。 同じアルツハイマー病であっても、 同じ人は二人といません。 育ってきた環境も違えば、 好きなことも、 苦手なことも、 人生も違います。 病気が同じだからといって、 その人まで同じになるわけではありません。 介護をしていると、 「認知症だから。」 という言葉を耳にすることがあります。 もちろん、それも一つの理由でしょう。 でも私は、 その前に、 「この人は、どんな人だったのだろう。」 と考えたいと思っています。 認知症を知ることは大切です。 でも、 その人自身を知ることは、 もっと大切なのかもしれません。 今回お伝えしたかったこと 認知症は一つの病気ではありません。 原因となる病気によって、変化する認知機能も、現れる症状も異なります。 だからこそ、 「認知症だから」ではなく、 「この人は、どのような認知症で、どのような人なのだろう。」 という視点が、介護の第一歩になります。 次回は、 「03: 認知症は、がんのようには進行しません 」 について、一緒に考えていきます。
  • 🌱01:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか?

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    認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 認知症を知るシリーズ 認知症を知る ― はじめに|介護の前に 第1回:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 認知症と聞いて、多くの人が最初に思い浮かべるのは「物忘れ」ではないでしょうか。 鍵をどこに置いたか忘れる。 同じことを何度も聞く。 約束を忘れてしまう。 確かに、それは認知症でよく見られる症状です。 だから、 「認知症は物忘れの病気。」 そう説明されることも少なくありません。 でも、本当にそうなのでしょうか。 少し考えてみてください。 認知症の方が、 「財布を盗まれた。」 と言います。 家族は財布を見つけて、 「ほら、ここにあるよ。」 と見せます。 それでも本人は納得しません。 「誰かが戻したんだ。」 と言うことさえあります。 もし認知症が「物忘れ」だけの病気なら、 財布が見つかった瞬間に安心するはずです。 それでも不安が消えないのは、なぜでしょう。 ある方は、 「今日は病院へ行きますよ。」 と言われても支度を始めません。 一方で、 「今日はお出かけですね。一緒に準備しましょう。」 と声をかけると、自然に動き始めることがあります。 これは耳が悪くなったのでしょうか。 記憶がなくなったのでしょうか。 それとも、別の何かが起きているのでしょうか。 認知症では、「覚える力」だけでなく、 考える力 判断する力 順番を考える力 状況を理解する力 そして、目の前で起きていることを意味づける力も、少しずつ変化していきます。 これらをまとめて「認知機能」と呼びます。 つまり認知症とは、「記憶」だけではなく、「認知」という働き全体が変化していく病気なのです。 だから、 「何度説明しても分かってくれない。」 のではありません。 説明だけでは届かない理由があるのです。 だから、 「頑固になった。」 のでもありません。 今までとは少し違う形で、世界を理解するようになっているのです。 私は、介護を始めた頃、 「もっと分かりやすく説明すれば伝わる。」 そう考えていました。 でも、認知症について知るほど、 説明の仕方よりも先に、 相手がどのように世界を見ているのかを知ることが大切なのだと感じるようになりました。 介護の難しさは、 相手が変わったことではありません。 自分が今までと同じ見方をしてしまうことなのかもしれません。 だから私は、 認知症を「物忘れ」の病気だとは考えていません。 もちろん、物忘れはあります。 しかし、それは認知症という病気の一部でしかありません。 認知症とは、 世界を理解する力が少しずつ変化していく病気。 私は、そのように考えています。 今回お伝えしたかったこと 認知症は「物忘れ」の病気ではありません。 物忘れを含めた、「認知する力」が少しずつ変化していく病気です。 このことを知るだけで、 「どうして伝わらないのだろう。」 という疑問が、 「だから伝わりにくかったのか。」 という理解へ、少し変わるかもしれません。 次回は、 「02:認知症にも「性格」があります 」 について、一緒に考えていきます。 関連記事 世界から学ぶ #017:誤解 ― ブルース・ウィリスの教訓 医師が語る|認知症は『脳の病気』ではありません
  • 🌱00:認知症を知る ― はじめに|介護の前に

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    介護の技術は、認知症の本質を知った後に初めて意味を持ちます。 「何度説明しても分かってくれない。」 「また同じことを聞かれた。」 「財布を盗んだと疑われた。」 「昨日は普通だったのに、今日は別人のようだ。」 認知症の方を介護していると、多くの人が一度は経験する場面です。 そして、そのたびに私たちは考えます。 「どうすれば伝わるのだろう。」 「もっと良い介護の方法があるのではないか。」 「私の接し方が悪いのだろうか。」 だから本を読み、インターネットで調べ、介護の技術を学びます。 もちろん、それは決して間違いではありません。 しかし、ここで一つ立ち止まって考えてみてほしいことがあります。 介護の技術は、誰に対して使うものなのでしょうか。 私たちは、自動車を運転するときには、その車の特徴を知ろうとします。 パソコンを使うときには、その仕組みを知ろうとします。 ところが認知症介護になると、技術だけを先に学ぼうとしてしまうことがあります。 しかし、本当に大切なのは、その前に認知症という病気を知ることです。 認知症とは、どのような病気なのか。 脳では何が起きているのか。 本人はどのように世界を見ているのか。 それを知らなければ、どんな介護技術も「なぜそれが有効なのか」が分からないままになってしまいます。 例えば、認知症の方が、 「財布を盗まれた。」 と言ったとします。 私たちは、 「違いますよ。ここにありますよ。」 と説明します。 それでも納得してもらえず、 「ほら、ここにあるでしょう。」 「さっきも説明したでしょう。」 と繰り返してしまうことがあります。 すると、本人はさらに不安になり、怒ってしまうことさえあります。 これは、介護が下手だからではありません。 本人が頑固だからでもありません。 認知症によって、私たちとは違う形で世界を認識し、理解しているからです。 もし、そのことを知らずに介護をすれば、一生懸命であるほど、お互いに苦しくなってしまいます。 近年、「パーソン・センタード・ケア」や「ユマニチュード」など、さまざまな介護の考え方が紹介されています。 どれも素晴らしい取り組みです。 しかし、それらに共通しているのは、介護技術そのものではありません。 その人が何を感じ、何を見て、どのように世界を受け止めているのかを理解しようとする姿勢です。 つまり、介護の出発点は技術ではなく、理解の前に、「知ること」なのです。 このシリーズでは、介護者の立場から「認知症とは何か」を一緒に見つめ直していきます。 専門的な医学書のような難しい話ではありません。 毎日の介護の中で感じる、 「なぜ?」 という疑問に、一つずつ答えていきたいと思います。 このシリーズでお伝えすること 第1回 認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 「認知症=物忘れ」という、多くの人が持っているイメージを見つめ直します。 第2回 認知症にも「性格」があります アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、血管性認知症。それぞれ何が違うのかを紹介します。 第3回 認知症は、がんのようには進行しません 良い日と悪い日がある理由や、体調や環境が認知機能に与える影響を考えます。 第4回 MRIでは分からないことがあります 画像検査だけでは見えない認知症の特徴と、介護者だからこそ気づける変化についてお話しします。 第5回 認知症介護で本当に大切なこと 認知症を知った上で、介護者は何を大切にすればよいのかを一緒に考えます。 認知症を知ることは、介護を知ることでもあります。 このシリーズを読み終えたとき、認知症という病気を見る目が少し変わり、目の前の大切な人との向き合い方が、ほんの少しでも穏やかなものになっていたなら、これほど嬉しいことはありません。 介護は、技術だけでは成り立ちません。 相手を知ろうとすること。 そこから、すべての介護は始まるのだと私は思います。 その第一歩として、このシリーズが少しでもお役に立てれば幸いです。 次回は、 「 01:認知症は「物忘れ」の病気だと思っていませんか? 」 について、一緒に考えていきます。 関連記事 世界から学ぶ #016:イギリス 「社会的処方」 世界から学ぶ #005:フランス 「ユマニチュード」
  • 世界から学ぶ #018:介護の視点「米国 vs 日本」

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    【テクノロジー・福祉用具の活用】 「排泄介助」の負担についてですが、少しでも「楽をする(負担を減らす)」ための方法として、最近のテクノロジーや福祉用具の進化は外せないと感じています。例えば、以下のような導入が進むと現場や家族の負担は劇的に変わるのではないでしょうか。 自動排泄処理装置の活用 寝たきりの方の場合、排尿・排便をセンサーが検知して自動で吸引・洗浄・乾燥まで行ってくれる機器があります。夜間のオムツ交換の回数を大幅に減らせるため、介助者の睡眠不足解消に直結します。 排泄予知センサーの導入(スマート介護) 下腹部に超音波センサーを貼ることで、膀胱の膨らみ具合を検知し、「そろそろトイレのタイミングです」とスマホ等に通知してくれるデバイスがあります。失敗(失禁)を未然に防げるため、衣類や布団の洗濯という二次的な重労働をなくすことができます。 スライディングシートや移乗ボードの活用 ベッドからポータブルトイレへの移乗の際、力任せに抱えるのではなく、摩擦を減らすシートを使うことで、腰への負担を驚くほど軽減できます。 日本では「手取り足取りお世話すること」が美徳とされがちですが、アメリカ的な「いかに効率よく、お互いの負担を減らすか」という視点に立って、こうしたツールを「楽をするために罪悪感なく使う文化」がもっと広がるといいなと思います。 【考え方・アプローチの転換】 排泄介助で少しでも「楽をする」ためのアプローチとして、介護者の「やり方」だけでなく、被介護者の「自立をサポートする仕組み(環境)」に変えていくという視点も有効ではないでしょうか。 「オムツ」から「パンツ・ポータブルトイレ」への移行(できる部分の自動化) すべてを介助するのではなく、手すりの位置を工夫したり、脱ぎ着しやすい衣服に変えたりして、ギリギリまで「自分でできる環境」を整えること。結果として介助者の出番(負担)が減り、本人の尊厳も守られます。 排泄パターンの見える化(スケジュール化) 数日間、排泄の時間を記録すると「食後○分後に排尿がある」といったパターンが見えてきます。そのタイミングだけ狙って声をかければ、空振りの声かけや、不意の失敗に対応するストレスを減らし、効率よく介助ができます。 精神的な負担を減らす意味でも、「全部やってあげる美徳」から脱却し、アメリカのように「自立支援のために、あえて手を引く(効率化する)」というマインドセットを持つことが、結果的に一番楽になる方法なのかもしれません。
  • 世界から学ぶ #016:イギリス 「社会的処方」

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    トム・キットウッドが変えた認知症ケアの常識 ―「病気を見る」から「人を見る」へ― 今回の記事では、 イギリスが認知症対策の先進国として、国を挙げて認知症に取り組んでいることをご紹介しました。 しかし、その背景には、一人の心理学者が提唱した「認知症観」の大きな転換があります。 その人物こそ、トム・キットウッド(Tom Kitwood)です。 認知症は「脳の病気」だけでは説明できない 1990年代まで、認知症は主に医学的な視点で捉えられていました。 「脳の細胞が壊れるから、記憶も人格も失われていく。」 もちろん病気そのものは事実ですが、当時は症状ばかりに目が向けられ、「その人自身」に注目されることはあまりありませんでした。 そんな中、イギリスの心理学者トム・キットウッドは、まったく異なる問いを投げかけます。 「認知症になったからといって、その人らしさまで失われるのだろうか。」 「その人らしさ」は失われない キットウッドは、人には誰もが Personhood(パーソンフッド)と呼ばれる人格的価値があると考えました。 認知症になっても、 人生の歴史 好きなもの 大切な思い出 家族との関係 性格や価値観 これらが突然消えてしまうわけではありません。 たとえ言葉でうまく表現できなくなっても、その人は今までと同じ「一人の人間」です。 だからこそ、 「認知症の人」ではなく、「認知症とともに生きる一人の人」として接することが大切だ と彼は訴えました。 行動には必ず理由がある キットウッドは、認知症の人が怒ったり、不安になったり、落ち着かなくなる原因のすべてを病気だけで説明することにも疑問を投げかけました。 例えば、 急かされる 子ども扱いされる 何度も否定される 本人を無視して家族だけと話す こうした接し方は、不安や混乱をさらに強めてしまいます。 つまり、 症状だけではなく、周囲との関わり方も本人の状態に大きく影響する ということを示したのです。 現在では、認知症ケアの現場で当たり前になりつつある考え方ですが、当時としては非常に画期的なものでした。 パーソン・センタード・ケア こうした考えから生まれたのが、 パーソン・センタード・ケア(Person-Centred Care) という理念です。 これは、 「何ができなくなったか」 ではなく、 「その人はどんな人生を歩み、何を大切にしてきた人なのか」 を中心に考えるケアです。 その人の生活歴や価値観、趣味、家族との関係を理解し、一人ひとりに合わせた支援を行います。 認知症そのものではなく、「その人」を中心に据える。 この考え方は現在、世界中の認知症ケアの基本理念となっています。 現在の認知症ケアにも受け継がれている フランスで生まれたユマニチュードや、日本でも広がるパーソン・センタード・ケア、多くの認知症ケアの考え方には、キットウッドの思想が色濃く受け継がれています。 「その人らしさを尊重する」 「できないことではなく、できることに目を向ける」 そんな考え方は、世界中の介護現場に広がっています。 世界から学ぶこと イギリスが認知症先進国と呼ばれる理由は、制度や研究だけではありません。 認知症の人を「支援の対象」としてではなく、 一人の人生を歩んできた大切な存在として尊重する。 この考え方を世界に示したことこそ、イギリスが認知症ケアに残した最も大きな功績なのかもしれません。
  • ☘「頑張らない介護」とは、具体的にどういうこと?

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    「頑張らない介護」とは、決して「介護を放棄する(手を入抜く)」という意味ではありません。 介護者がすべてを背負い込んで心身ともにすり減ってしまうのを防ぐため、「完璧を目指さず、介護者自身の生活と笑顔を守ることを最優先にする」という、持続可能な介護のあり方のことです。 具体的には、以下のような4つのシフト(考え方と行動の切り替え)を意味します。 1. 「自分の力で」から「チームの力で」へ 「家族だから自分がやらなきゃ」という思い込みを捨て、プロの手や介護保険サービスを最大限に頼ることです。 ケアマネジャーをフル活用する: 困りごとを一人で抱えず、まずはケアマネジャーに相談してプランを練ってもらう。 デイサービスやショートステイを躊躇なく使う: 「本人が嫌がるから」と諦めず、介護者が「一人の時間(レスパイト:息抜き)」を確保するために、プロの力を借りて少しずつ慣れてもらいます。 2. 「正しさ」から「合わせること」へ 認知症の症状(物忘れ、幻覚、取り繕いなど)に対して、正面から否定したり、現実を教え込もうとしたりすると、お互いにエネルギーを激しく消耗します。 事実の訂正を諦める: 例えば「ご飯はまだ?」と聞かれたとき、「さっき食べたでしょ!」と怒るのではなく、「今作っているから待ってね」とお茶を出すなど、その場の空気や本人の世界観に話を合わせる(話をそらす)。 「まぁ、いっか」の精神: 命に関わること(危険な徘徊や服薬ミスなど)以外は、多少の失敗や不合理な行動があっても「実害がなければ良し」とスルーする力をつけます。 3. 「かつての親(家族)」から「新しい関係」へ 昔のしっかりしていた頃の姿と目の前の現実を比較してしまうと、「なんでこんなこともできないの?」と悲しみや怒りが湧いてきます。 「できなくなったこと」ではなく「できること」に目を向ける: できない部分を責めるのをやめ、「今の状態」をありのままに受け入れることで、イライラを減らします。 4. 「介護優先」から「自分(介護者)の人生優先」へ 介護のために自分の仕事、趣味、睡眠時間を犠牲にし続けると、いつか限界(介護うつや共倒れ)が来ます。 自分のケアを最優先にする: 「自分が元気で笑顔でいることが、結果的に本人への一番の優しさになる」と割り切り、自分のやりたいことや休息をスケジュールに先組みします。 まとめると 「頑張らない介護」とは、『頼れるものはすべて頼り、適度に手を抜き、お互いが笑顔でいられる距離感を保つスマートな介護』のことです。 介護はマラソンのようなものです。最初から全力疾走(頑張りすぎ)するのではなく、いかに息切れせずに長く走り続けられるかの仕組みを作ることが大切になります。 関連記事 人気 YouTube 動画 - 「認知症の介護はするな」 毎日の排泄介助、便で汚れる室内・・・
  • 世界から学ぶ #014:共感 ― Over-validating

    世界から学ぶ 世界 介護 共感
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    共感しすぎる介護 ― 認知症ケアで「否定しない」はどこまで必要なのか 認知症ケアでは、「本人を否定しないこと」が大切だと言われます。 アメリカなど欧米の認知症ケアでも、Validation Therapy という考え方があります。 これは、本人の言葉を頭ごなしに訂正するのではなく、その奥にある不安や寂しさ、怒りを受け止める方法です。 しかし、ここで一つ注意したいことがあります。 「否定しない」ことは、「何でもそのまま肯定する」ことではありません。 Validation とは何か Validation Therapy は、認知症の方が見ている世界や感じている感情を尊重するコミュニケーション方法です。 たとえば、本人が 「家に帰りたい」 と言ったとき、 「ここが家でしょ」 と訂正するのではなく、 「家に帰りたいと思うくらい、不安なんですね」 と感情に寄り添います。 大切なのは、言葉の事実関係ではなく、その奥にある気持ちです。 Over-validating とは何か 一方で、共感が行き過ぎると、かえって本人の不安を強めてしまうことがあります。 たとえば、本人が 「財布を盗まれた」 と言ったとき、 「盗まれていません」 と否定すると、本人は責められたように感じるかもしれません。 しかし、 「本当に盗まれたんですね。ひどいですね」 と事実として肯定してしまうと、 本人の中で「やはり盗まれたのだ」という不安が強くなることもあります。 これが、ここでいう「共感しすぎる介護」です。 感情は受け止める、事実は強めない 欧米の認知症ケアから学べるのは、 本人の感情を否定しないことと、 本人の誤った認識をそのまま強化しないことのバランスです。 たとえば、 「財布を盗まれた」 と言われたら、 「それは心配ですね。一緒に探してみましょう」 と返す。 「家に帰りたい」 と言われたら、 「帰りたくなるくらい落ち着かないんですね。少し一緒に座りましょう」 と返す。 本人の感情には寄り添いながら、怒りや不安を増幅させない方向へ会話を進めます。 日本でも参考になること 日本でも「否定しない介護」はよく言われます。 しかし、それがいつの間にか、 「本人の言うことに全部合わせなければならない」 という負担になってしまうことがあります。 本当に大切なのは、事実を合わせることではなく、感情を受け止めることです。 本人の世界に入ることは大切です。 しかし、その世界の不安をさらに大きくしないことも、同じくらい大切です。 今日のまとめ 認知症ケアにおける共感は、相手の言葉をすべて肯定することではありません。 その言葉の奥にある、 不安 寂しさ 怒り 安心したい気持ち そこに目を向けることです。 世界から学べるのは、共感の技術だけではありません。 共感にも、ちょうどよい距離がある。 その視点も忘れずに・・・ 世界から学ぶ 世界には、同じ悩みに向き合いながら工夫を重ねている介護者がいます。 このシリーズでは、その知恵を日本の介護にも役立つ形で紹介していきます。 次回:世界から学ぶ #015:ランセット 「Lancet」
  • 世界から学ぶ #013:病識の欠如 ― Anosognosia

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    認知症の介護現場で、多くの家族やケアパーソンが最初に、そして最も深くぶつかる壁があります。 それが「病識の欠如(Anosognosia:アノソグノジア)」です。 周囲が良かれと思ってサポートしようとしたり、病院へ連れて行こうとしたりすると、本人は激しい怒りを露わにします。 「俺を病気扱いするな!どこも悪くない!」 「私をボケ老人にする気か!騙そうとしたってダメだからね!」 本人は本気で「どこも悪くない」と思っているため、周囲の親切が「自分を陥れようとする理不尽な攻撃」にしか見えないのです。ここで「そんなことないでしょ、現実を見て」と正論で返すと、お互いが傷つく泥沼のキャッチボールが始まってしまいます。 この「認めない本人」と「わからせたい周囲」の決定的な対立に対して、私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。そのヒントを、 アメリカ発の革新的なアプローチ「バリデーション療法(Validation Therapy)」と、その生みの親であるナオミ・フェイル氏の足跡から学びます。 1. ナオミ・フェイルの原体験:「なぜ彼らは叫ぶのか」 バリデーション療法の開発者であるナオミ・フェイル氏(1932〜2023)の思想の根底には、強烈な原体験があります。 彼女の父親は高齢者施設の施設長、母親はソーシャルワーカーでした。ナオミ氏は、なんと高齢者施設の中で生まれ、そこで入居者たちに囲まれて育ったのです。幼少期から高齢者たちのリアルな姿を日常として見ていた彼女は、1960年代、大人になって社会福祉のプロとして現場に戻ったとき、強い違和感を抱きます。 当時の医学や介護の主流は、認知症の混乱や拒絶を「脳の機能が壊れた患者の、意味のない異常行動」と片付け、力づくの説得や、薬物・身体拘束で大人しくさせようとしていました。 しかし、ナオミ氏の目には違って映りました。 「彼らの激しい怒りや叫び、徘徊には、すべて意味がある。それは、人生の最終段階において、奪われそうになっている自分の尊厳やアイデンティティ(存在価値)を、必死に守ろうとする魂の叫びなのだ」 そう気づいた彼女が提唱したのが、相手を「修正」するのではなく、その人の感情の「価値を認める(Validate)」というアプローチでした。 2. 【実際のケース】:「会社に行く!」と激昂する男性 バリデーションの思想が最も鮮烈に活きるのが、まさに「病識がなく、怒りを爆発させている」ケースです。実際の現場でよく起こる、ある男性のエピソードを見てみましょう。 【状況】 認知症が進行した80代の男性。夕方になると突然、「おい、もう時間だ!会社に行く!大切な取引先が待っているんだ!」とカバンに荷物を詰め始めます。 ここで、私たちがやってしまいがちな「2つの失敗パターン」があります。 パターンA:正論で説得する 「お父さん、もう定年退職して20年も経ちますよ。外は暗いし会社なんてありません」 本人の反応: 「俺を嘘つき呼ばわりするな!病気扱いして閉じ込める気か!」とさらに激怒。 パターンB:その場しのぎの嘘をつく 「今日は日曜日だから会社はお休みですよ。明日行きましょう」 本人の反応: その場はしのげても、本人の頭の中の「タイムスリップ」は解決していないため、すぐに「じゃあ明日の準備をする」となり、根本的な解決になりません。 バリデーションによるアプローチ バリデーションでは、彼の「会社に行く」という言葉の「事実」ではなく、その裏にある「自分はまだ社会の役に立てる存在だ(自尊心)」「家族を養う責任がある(義務感)」という『感情の真実』にフォーカスします。 ステップ1:感情に同意する(目を合わせ、トーンを合わせる) 「大切な会議があるんですね。本当にお忙しい中、いつも家族のために責任を持って動いてくださってありがとうございます」 誰も自分を否定せず、自分の「責任感」を認めてくれたことで、男性の防衛本能(怒り)のスイッチがふっと緩みます。 ステップ2:感情を言葉にして引き出す(過去の誇りへアクセス) 「あなたが若い頃から、ずっとその会社を支えてこられたんですか?」「どんなお仕事をされている時が、一番やりがいがありましたか?」 結果: 男性は自分のアイデンティティを認められた満足感から、過去の仕事の武勇伝を誇らしげに語り始めます。ひとしきり話し終え、お茶を飲む頃には心が満たされ、「よし、今日の仕事はこれくらいにしておくか」と、自ら落ち着きを取り戻し、ソファーに腰掛けました。 3. 世界から学ぶ:こちらの「正しさ」を手放すという知恵 「病気扱いするな!」という本人の言葉は、裏を返せば「私を一人の人間として尊重してくれ」という必死のメッセージです。 私たちが「現実の正しさ」や「病気という枠組み」にこだわりすぎると、目の前にいる「その人自身」が見えなくなってしまいます。 世界の先進的なケアが教えてくれるのは、「本人の病識(認識)を変えようとするのを諦め、こちらの『見方』と『関わり方』を変える」という、コペルニクス的転換です。 相手の世界に100%飛び込み、その感情を丸ごと受け止める。 「正しさ」を手放したとき、初めて認知症の介護は「壮絶な戦い」から「深い人間の対話」へと形を変えるのかもしれません。 世界から学ぶ 世界には、同じ悩みに向き合いながら工夫を重ねている介護者がいます。 このシリーズでは、その知恵を日本の介護にも役立つ形で紹介していきます。 次回:世界から学ぶ #014:共感 ― Over-validating 関連記事 何度も責められる、介護でよくある事例と対応法 アノソグノシア。どのくらい続くのか?
  • 🔎介護に役立つ代表的な情報源

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    日本の認知症介護は、一人で抱え込まずに周囲の力や専門のコミュニティを頼ることが本当に大切です。ご家族やケアをする方を支える、代表的な情報源やコミュニティサイトをいくつかピックアップしました。目的に合わせて使い分けてみてください。 当事者・家族が集うコミュニティ・相談窓口 公益社団法人 認知症の人と家族の会 特徴: 日本で最も歴史と実績がある、認知症の当事者と家族のための職能・市民団体です。 できること: 全国47都道府県に支部があり、定期的に「家族のつどい」を開催しています。同じ境遇の人と対面やオンラインで話せるほか、電話での無料相談窓口も設置されています。 おすすめ: 「他の家庭はどうしているんだろう?」という具体的な悩みや、心の拠り所を探している方に最適です。 認知症カフェ(オレンジカフェ) 特徴: 全国各地の自治体やNPO、医療機関などが運営する、認知症の人や家族、地域住民、専門家が気軽に集える「カフェ」のような場所です。 できること: お茶を飲みながらリラックスした雰囲気で情報交換や相談ができます。 おすすめ: お近くの地域包括支援センター(役所の高齢者窓口など)に問い合わせると、地元の開催情報を教えてもらえます。 ネットで繋がるオンラインコミュニティ・掲示板 安心介護 特徴: 認知症に限らず、介護全般の悩みを匿名で相談できる日本最大級の介護コミュニティサイトです。 できること: 「先輩介護者」に知恵を借りたり、ケアマネジャーや看護師などの「専門家」から直接アドバイスをもらったりできます。 おすすめ: 夜間や急なトラブル時、すぐに誰かの意見を聞きたいときに非常に心強いプラットフォームです。 正確な知識と公的支援を探すための情報サイト ながいきネット(認知症介護情報ネットワーク) 特徴: 厚生労働省の支援のもと、認知症介護研究・研修センターが運営している公的な総合情報サイトです。 できること: 認知症の基礎知識から、具体的なケアのコツ、公的な介護サービス(介護保険など)の活用方法まで、信頼性の高い情報が体系的にまとめられています。 認知症フォーラム.com 特徴: NHK厚生文化事業団などが関わる、認知症の最新医療情報やケアのヒントを発信する情報サイトです。 できること: 医師による解説記事や、全国の先進的な取り組み、お役立ち動画などが豊富に掲載されています。 その他(連絡会議、セミナー、介護施設など) 認知症関係当事者・支援者連絡会議: 認知症本人・家族・支援者団体が連携、疾患情報やケアの啓発活動を共有。 老人ホーム・介護施設を探すなら、ライフル介護: 老人ホームや介護施設を探すなら、日本最大級の検索サイト。 まず最初の一歩としてのおすすめ もし具体的な介護保険の申請や、利用できるサービス(デイサービスやショートステイなど)について知りたい場合は、お住まいの自治体の「地域包括支援センター」に連絡するのが最も確実です。専門の社会福祉士や保健師が無料で相談に乗ってくれます。 まずは気になるウェブサイトを覗いてみて、少しでも気持ちが軽くなる場所を見つけてみてください。他にも特定の症状への対応など、具体的に知りたいことがあれば、このポストに返信してください。 関連記事:親の認知症発覚!識者の実践アドバイス
  • 世界から学ぶ #012:徘徊 ― Wandering

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    「家に帰りたい」と歩き続ける父 ― 米国では“Wandering”をどう考えているのか 認知症の方が家を出て、そのまま道に迷ってしまう。 日本では「徘徊(はいかい)」という言葉で表現されることが多い行動です。 家族にとっては、ほんの数分目を離しただけで姿が見えなくなることもあり、命に関わる深刻な問題でもあります。 しかし、欧米ではこの行動を Wandering(歩き回る・道に迷う) と呼び、少し異なる視点から捉えています。 「危険だから止める」というだけではなく、 『なぜ、その人は歩き始めたのだろう』 という理由を理解することも、認知症ケアの重要な考え方になっています。 「歩き回る」ことには理由がある 米国の認知症支援団体 Alzheimer's Association では、歩き回る背景には様々な理由があると説明しています。 例えば、 昔住んでいた家へ帰ろうとしている 以前勤めていた職場へ向かおうとしている 家族を探している 不安や落ち着かなさを感じている 運動不足や退屈を感じている トイレや何か目的の場所を探している 本人にとっては意味のある行動でも、周囲から見ると突然家を出てしまったように見えることがあります。 だからこそ、「歩き出した理由」を理解することが、対応の第一歩と考えられています。 実際にあった米国での介護者の経験 ある家族介護者は、認知症の父親が突然家を出てしまい、近所を必死に探し回ったそうです。 見つかった場所は、何十年も前に勤めていた会社へ向かう途中の道路でした。 父親にとっては、仕事へ行くことが「今日やるべきこと」だったのです。 別の介護者は、近所の人たちへ事情を説明し、母親の写真と連絡先を共有していました。 そのおかげで、母親が一人で歩いている姿を見かけた近所の人がすぐに連絡をくれ、大事には至らなかったそうです。 こうした経験談からは、「家族だけで抱え込まず、地域全体で見守る」という考え方が根付いていることが伝わってきます。 欧米で行われている主な対策 欧米では、「歩くこと」を完全に止めることよりも、安全を確保する工夫が数多く行われています。 例えば、 GPS端末や位置情報サービスの活用 ドアセンサーや開閉アラームの設置 身元情報を携帯できるブレスレットやIDタグ 日中に十分な散歩や運動の時間を設ける 地域住民や近隣との見守りネットワークを作る 本人が安心できる生活リズムを整える などがあります。 技術だけではなく、「一人で介護しない環境づくり」も大切にされています。 日本でも参考になること 日本でもGPS機器の普及が進み、行方不明時の早期発見につながる事例が増えています。 しかし、欧米の取り組みを見ていると、GPSはあくまでも一つの手段であり、それ以上に大切なのは、 「なぜ歩こうとしているのか」を理解すること そして、 「歩いてしまっても安全に戻れる環境を整えておくこと」 なのだと感じます。 歩くことを完全に止めることは難しいかもしれません。 だからこそ、本人の気持ちに寄り添いながら、安全を支える仕組みを家族や地域全体で考えていくことが重要なのではないでしょうか。 編集後記 この「世界から学ぶ」シリーズでは、海外で実際に行われている認知症ケアや家族介護者の経験を、日本の介護にも役立つ形で紹介していきます。 国が違っても、介護に悩み、迷い、工夫しながら大切な人と向き合う気持ちは共通しています。 海外の事例を知ることは、日本の介護を見つめ直すきっかけにもなるかもしれません。 参考情報 Alzheimer's Association「Wandering」 Cleveland Clinic「What to Do When Alzheimer's Patients Wander」 The Caregiver's Journey「Practical Tips to Prepare for and Prevent Wandering」 世界は広くても、介護者の悩みは驚くほどよく似ています。だからこそ、世界から学べることがあります。 世界から学ぶ 世界には、同じ悩みに向き合いながら工夫を重ねている介護者がいます。 このシリーズでは、その知恵を日本の介護にも役立つ形で紹介していきます。 次回:世界から学ぶ #013:病識の欠如 ― Anosognosia 関連記事 世界から学ぶ #011:米国「介護者は第二の患者」 認知症の行方不明者、GPSで8割超が当日発見
  • 📡認知症の行方不明者、GPSで8割超が当日発見

    認知症ケア 徘徊 介護
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    annA
    ニュースのコメント欄に書き込まれていた、介護当事者や専門家の方々による「本当に役立つ実践的なアドバイス」を整理しました。 家族だけで抱え込まず、デジタルとアナログの両面から対策を講じるヒントが詰まっています。 1. 「GPS・デジタルツール」の賢い選び方と現実 多くの介護家族がGPSを推奨していますが、持たせ方に一工夫が必要です。 靴への仕込みが最善: 財布やスマホは忘れて出かけることが多いため、必ず履く「靴(かかとやインソール)」に埋め込むタイプが最も実用的です。 AirTagなどの注意点: AppleのAirTag等は安価で便利ですが、周囲にiPhoneユーザーが少ない地域や夜間は位置特定が難しくなるため、単体通信できる認知症専用GPSを選ぶ人が多いです。 2. 「事前の登録と連携」が捜索スピードを分ける いざという時にパニックにならず、1分でも早く見つけるための初動準備です。 「SOSネットワーク」への登録: 自治体や地域包括支援センターの見守りネットワークに、本人の写真や特徴を事前登録しておく。 警察への事前相談: 最寄りの警察署に「徘徊の可能性がある」と事前に相談し、写真や歩き方の癖を渡しておくと初動が劇的に早くなります。 直近の写真のストック: 半年に一度は、本人がよく着るお気に入りの服装のままスマホで写真を撮っておくことが推奨されています。 3. 衣類・持ち物への「アナログな仕掛け」 デジタルの充電切れや紛失に備えた二重のセーフティネットです。 服の「タグ」への刻印: 下着やズボンの内側タグに、名前と連絡先(個人情報が気になる場合はケアマネジャーの番号など)を油性ペンで書く。 QRコードシールの活用: 衣服や爪、靴に貼れる、スキャンすると連絡先がわかる専用のQRコードシール(自治体で配布・販売されている場合もあります)を利用する。 4. 自宅の「出入り口」の物理的な対策 「目を離した一瞬」の外出を防ぎ、家族の睡眠や精神的負担を減らす工夫です。 認知症対応の鍵: ドアのつまみ(サムターン)を取り外せるタイプに交換する、または上下の目立たない位置に補助錠を増設する。 人感センサーの設置: 玄関を開けた時やベッドから離れた時にアラームが鳴るセンサー(介護保険が適用できる場合が多いです)を導入する。 5. 「心のケア」と地域へのオープンな姿勢 家族だけで抱え込まず、周囲を巻き込むマインドが大切です。 「徘徊」ではなく「目的のある歩行」: 本人の中には「仕事に行く」「実家に帰る」などの目的があります。頭ごなしに止めず、「どちらへ行くのですか?一緒に行きましょう」と一度受け止めることでパニックを防げます。 近所へあえてオープンにする: 隠さずに「一人で出てしまうことがあるので、見かけたら声をかけてほしい」と、近隣住民や近所のコンビニなどに伝えておくと、地域全体が目になってくれます。 少しでも皆さんの日々の介護負担の軽減や、安心につながれば幸いです。 関連記事:便利グッズ:認知症の介護で役立つ、便利アイテム
  • 世界から学ぶ #011:米国「介護者は第二の患者」

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    米国の認知症介護分野では、この1〜2年でかなり大きな変化が起きています。 特に注目すべきなのは、「患者本人」よりも「介護者(家族)」を支援する方向へ政策が大きくシフトしていることです。 1. Medicareの「GUIDE」プログラムが本格始動 現在、米国で最も大きなニュースは、米国政府(CMS)が進める GUIDE(Guiding an Improved Dementia Experience)モデル です。2024年に開始され、2025〜2026年に全米へ拡大が進んでいます。(Centers for Medicare & Medicaid Services) 特徴は、 専任の認知症ケアナビゲーター 24時間相談窓口 家族介護者への教育 レスパイト(介護者の休息支援) 医療・福祉サービスの調整 を Medicare が支援することです。(Centers for Medicare & Medicaid Services) 日本で言えば、 「ケアマネージャー+地域包括支援センター+家族教室」 を一体化したような仕組みです。 2. 「介護者は第二の患者」という考え方 近年の米国研究では、 Dementia caregiver = Invisible second patient (認知症介護者は見えない第二の患者) という表現が使われています。(arXiv) 研究では、 うつ 不安 睡眠障害 孤立感 経済的負担 が一般介護者より明らかに高いことが示されています。(Frontiers) そのため米国では、 「患者支援」から 「患者と介護者のペア支援」 へ発想が変わっています。(CAPC) 3. AI活用への期待 2025〜2026年は認知症介護向けAI研究が急増しています。 研究テーマとしては、 会話支援AI 服薬管理 生活リマインダー 家族介護者のメンタル支援 認知症患者シミュレーター などです。(arXiv) 特に興味深いのは、 AIが認知症患者の性格や症状を再現し、 介護者や医学生の訓練に使う という研究です。(arXiv) これは将来的に、 介護職研修 家族向けトレーニング へ広がる可能性があります。 4. 「認知症村(Dementia Village)」の導入 欧州では有名な認知症村ですが、米国でもようやく本格導入が始まっています。 2026年には、米国初となる本格的な認知症村の建設が発表されました。(New York Post) 特徴は、 スーパー カフェ 映画館 散歩道 などを施設内に作り、 「施設」ではなく 「普通の街」 として生活できる環境を目指しています。(New York Post) これはオランダの有名な認知症村 Hogeweyk(ホグウェイ) の影響を強く受けています。 5. 日本の介護者に参考になる点 米国の最新動向を見ていて感じるのは、 昔 「どう介護するか」 今 「介護者をどう守るか」 へ重心が移っていることです。(CAPC) 実際、 レスパイト 家族会 オンライン相談 ケアナビゲーター への投資が増えています。(Centers for Medicare & Medicaid Services) 世界から学ぶ 世界には、同じ悩みに向き合いながら工夫を重ねている介護者がいます。 このシリーズでは、その知恵を日本の介護にも役立つ形で紹介していきます。 次回:世界から学ぶ #012:徘徊 ― Wandering 関連記事 世界から学ぶ #016:イギリス 「社会的処方」 世界から学ぶ #005:フランス 「ユマニチュード」 世界から学ぶ #004:福祉先進国スウェーデン 世界から学ぶ #003:オランダ 「ホグウェイ」 米国における認知症の介護、日本との違い
  • 💢なぜ認知症患者は「怒りっぽい」のか?

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    海外でも同じ悩みを抱えている 認知症患者が怒りっぽくなったり、介護者に対して厳しい言葉を向けたりすることは、日本だけの問題ではありません。 アメリカでも、 急に怒り出す 「物を盗まれた」と疑う 介護を拒否する 家族に暴言を吐く といった症状は、認知症介護における大きな課題として知られています。 興味深いのは、アメリカでは近年、 「なぜ患者は怒るのか」 だけでなく、 「その怒りによって介護者はどれほど疲弊しているのか」 にも注目が集まっていることです。 認知症患者の怒りや興奮は、介護者のストレスや孤立感を大きく高めることが分かっており、 「介護者は第二の患者である」 という考え方も広がっています。 そのため、アメリカでは患者本人だけでなく、介護する家族を支援する新しい取り組みが進められています。 関連記事 世界から学ぶ #011:米国「介護者は第二の患者」 世界から学ぶ #010:「認知症介助犬」
  • ⚕医者だから知っている、認知症の始まりの言葉10選

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    https://www.youtube.com/watch?v=KOtu3MJUiFQ この動画に寄せられた視聴者コメントは、実際に在宅や施設で認知症介護に直面している方々の切実な声で溢れています。 主なコメントの内容をいくつかのアスペクトに要約します。 1. 介護の過酷さと「限界」を訴える声 多重介護の負担:発達障害を持つ娘2人の育児と、認知症の義母(幻聴の症状あり)の介護、さらに夫の無関心が重なり、心身ともに限界を迎えて無気力になってしまったという壮絶な経験が語られています。 孤立無援の介護:単身赴任中の夫を持つ方が、重い心不全と認知症を患う義母を1人で在宅介護している事例。義母が元保育士というプライドから介護を拒否し、嫁を見下す言葉を投げつけるため「限界が近い」と限界を吐露しています。また、兄が連絡をブロックし、夫からも協力を得られず1人で抱え込んでいるケースも見られます。 2. 後悔や自己嫌悪、そして動画による「救い」 感情が爆発したことへの罪悪感:ついイライラして認知症の親を叱ってしまい、何日も自分を責め続けていた人が多くいます。 動画内の「この動画を見ている時点で、あなたは真剣に向き合っている優しい人」「あなたは何も悪くない」というドクターハッシーの言葉や、最後の花のプレゼントに「涙が止まらなかった」「救われた」「明日からまた少し優しくなれそう」ともらい泣きするコメントが続出しています。 3. 先輩介護者からのアドバイスと心の変化 「適当に扱う」ことでの自衛:介護に疲れ果てた末、義母の言うことを真に受けず「あー、そうなんだ〜」と受け流して安心させる対応に変えたことで、自分の心を守れるようになったという知恵がシェアされています。 親への恩返しという捉え方:両親を看取った方から、自分が子供の頃におむつを替えてもらったり話を聞いてもらったりしたことを「今返している」と思って一緒に時間を過ごしてほしい、という温かいエールも送られています。 4. 医療・介護関係者からの称賛 介護職15年の方などから、動画の内容が非常に素晴らしく、現場の人間にとっても勉強になり心に響く「神回」であると深く感謝されています。 全体として、誰にも言えない介護の愚痴や毒を吐き出しつつ、同じ境遇の仲間がいることに気づき、ドクターハッシーの優しい言葉に涙を流して「また一歩踏み出そう」と励まし合う、非常に温かくも切実なコミュニティの場となっています。